東京高等裁判所 昭和37年(う)65号 判決 1963年10月09日
本店所在地
東京都中央区日本橋通二丁目二番地 加藤ビル内
株式会社 河口棉行
右代表者取締役
浅原佐香枝
本籍
栃木県宇都宮市今泉町千九十五番地
住居
東京都渋谷区景丘町四十九番地
会社役員
永井勇一郎
大正十二年八月七日生
右両名に対する法人税法違反被告事件について、昭和三十六年九月七日東京地方裁判所の言い渡した各有罪の判決に対し、被告人らの原審弁護人から適法な控訴の申立があつたので、当裁判所は次のとおり判決をする。
主文
本件各控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、被告人らの弁護人橋本雄彦提出の控訴趣意書、控訴趣意書補正申立書(昭和三十七年七月四日付)、控訴趣意書補充申立書(昭和三十七年十二月三日付)、控訴趣意書補充申立書第二(昭和三十八年五月六日付)に各記載されているとおりであり、これに対する検察官の答弁は、答弁書、答弁補足書、弁護人提出の昭和三十七年十二月三日付控訴趣意書補充申立書に対する答弁書、弁護人提出の昭和三十八年五月六日付控訴趣意書補充申立書(第二)に対する答弁書に記載されているとおりであるから、いずれもこれを引用する。
一、弁護人の所論は、先ず原審が本件について採証の用に供した「火災鑑定書」(昭和三四年証第二一四号の二)は証拠価値がないといい、その理由として「右鑑定書は鑑定人であると同時に所謂ダメージ屋として本件倉庫の被火災残存物件を買取るという被鑑定物件に深い利害関係を有する者の作成したものであるからである」というのである。
而して証拠によれば、本件鑑定人高瀬金三の所属していた柿沼(鑑定)事務所の主宰者である柿沼秀一は、右事務所とは別に屑物買受業柿沼商店をも経営しており、同商店において日新火災海上保険会社から本件被災残存物件を買取つたということはこれを認め得るが、このような関係があるからといつて直ちに鑑定書の信憑性に疑をさしはさむべき理由があるとはいい難いのみならず、本件鑑定書の内容、鑑定人高瀬金三の証言等を仔細に検討してみても、鑑定内容の信憑性を疑うべき格別の事由を発見し難く、いわんや如上の如き地位にある鑑定人には刑事訴訟法、民事訴訟法において裁判官等に除斥、忌避等の規定が適用されるのと同様の取扱がなされて然るべき筈であるという如き所論は採るに足りないといわなければならない。
次に所論は、「本件鑑定金額は、保険会社と被告会社との間で妥協決定した保険金額に合致するように控訴人会社の社員川瀬鉄太郎が作成した原綿被害一覧表に基づき決定されたものであつて、実際に火災現場の焼残物、収容倉庫の状治等を実地に検討した上算出された数額ではない。鑑定書作成の経緯に関する原判決の認定は事実に反する。」というのである。しかしながら、原審における高瀬金三の証言を検討するときは、同人は本件鑑定をするに当りこの種鑑定をするについての常道である焼残物の確認、倉庫の収容能力の実地検証、会社の帳簿、伝票等の検討を行い、更に関係者よりの事情聴取の結果をも考慮して、鑑定金額を決定したものであることが窺われるから、所論はその理由がないというべきである。
また、所論は、原判決が本件火災焼失額の算定に際し、右鑑定入の鑑定額五、三一二、三三三円をそのまま採用することなく、二十パーセントの誤差を考慮し、被告人に有利に右金額にその二十パーセントを加えた六三七万円(千位以下切捨)をもつて焼失額と認定したことを捉え、逆にこの加算ということは、原裁判所も鑑定書自体の証明力を信用していなかつたことの証左であるというのであるが、原裁判所としては決して所論の如く鑑定書を作用しなかつたのではなく、火災の場合における焼失物の鑑定ということの困難性を考慮し、誤差の生ずる公算があるところから、被告人らに不利益を蒙らせたくないという配慮から、これ以上の損害は如何にしても生じ得ないという限度を捉えたのであつて、かかる慎重な配慮を非難しようとするが如きは、原裁判所の意図をことさらに排撃しようとするいわれなき論難であるといわなければならないから、右論旨は理由がない。因に、所論は、右鑑定書中には火災当時倉庫中に存在したエジプト綿に関する記載がないからその点においても信憑力がないともいうのであるが、諸般の証拠を総合検討してもエジプト綿の在庫はこれを認め得ず、原判決もまた同機の見解であることが認められるから鑑定書にエヂプト綿の記載がないことを論難するのは当らないといわざるを得ない。
更に所論は、本件鑑定書の鑑定額は、被告会社の表帳簿の記載額とほぼ一致し簿外の在庫は全く考慮に入れていないから真実に合致してなないというのであるが、鑑定人は前段説明の鑑定の常道に則り本件倉庫において火災による焼失高如何ということを鑑定したのであつて、その数額の信用し得ることは前段説明のとおりであつてその数額は結論において控訴人主張の簿外在庫の数量を含まれない計算と合致し、従つて火災当時いわゆる多量の簿外在庫が存在したということを否定される結果となつたとしても止むを得ないところであるといわなければならない。以上これを要するに、本件鑑定書の鑑定の結果は、これを信憑に値するというべく、原判決が更に鑑定額の二十パーセント増しをもつて焼失額と認定したことは、被告人らに対し有利な措置であつて、これを非難することはできないものといわなければならない。
二、次に所論は、原判決には事実の誤認があるというのである。よつて按ずるに所論は先ず仕入否認額について、原判決認定額と査察官高沢久幸作成の犯則所得調書(修正分)記載額との間に、昭和二十八年度(第一期)において四一、四一四円、昭和二十九年度(第二期)において四八一、〇一九円の差額があるにも抱らず原判決にはこの点につき何らの説明もなされていないと主張するのである。
しかしながら、原判決が第二期分につき判決別表2(その二)註2において指摘するところによれば、検察官提出の修正損益計算書中には、仕入高の調査額を四一二、四六四、七一一円とすべきとこちを誤つて四一二、九四五、七三〇円と記載しているわけであり、第一期分について判決別表1(その2)に同趣旨の指摘をしていないが同様の誤があり但し原判決はその指摘を省略したことが明らかであるから、金額の相違する所以はおのずから判然たるものがあるといわなければならない。すなわち、証拠により認められる被告会社の実除の仕入総額は、原判決別表に表示されているとおり第一期三五三、四〇一、一〇六円、第二期四一二、四六四、七一一円であり、被告会社の公表仕入総額は、第一期三七二、八三四、七六〇円、第二期四三九、〇〇〇、一三八円であるから、第一期一九、四三三、六五四円、第二期二六、五三五、四二七円が被告会社の両年度の各架空仕入額になるわけであつて、かくの如く被告会社が申告に際し公表した仕入高が証拠に徴し認め得る実際の仕入高より多額である場合においては、その差額に関してはこれを架空仕入高として犯則と認定することは誤りとはいえない筋合であるから、これに反する所論は理由がない。
次いで、所論は、所謂過大見積の簿外在庫高(焼失過大見積額)一七、七一三、三五五円相当額の仕入を否認することは首肯し得ても仕入否認総額四五、九六九、〇八一円と右過大見積の簿外在庫高一七、七一三、三五五円との差額二八、二五五、七二六円の仕入までも否認することは納得できない、かかる認定をした結果、本来合致すべき筈の右差額二八、二五五、七二六円と昭和二十八年度期首簿外在庫高一九、五一九、四三九円との間に八、七三六、二八七円の相違を生じたのであり、この差額の説明がつかないという趣旨の主張をするのであるが、この点については、検察官の昭和三十七年九月七日付答弁書第二点(二)に記載されているとおりであると認められるのである。すなわち、原判決は証拠によつて認定される被告会社の実際の仕入総額と公表仕入総額との差額をもつて架空仕入総額と認定しこれを否認したもので、その否認額の内訳は、第一期につき
<省略>
但し、右1について、所論は公表帳簿上二八、七、三、ボルカートブラザースより仕入れたことになつている原棉三八、八五五ポンド(代金四、七八一、一〇一円)は、昭和二十七年度の仕入れとすべきところを経理上の処理の誤りにより昭和二十八年度の仕入れとして処理されたに過ぎず、架空仕入と認むべきものではないというのであるが、故意に仕入日時を作為したと認められる本件においては、これを架空仕入れであるとして犯則と認められても止むを得ないというべきである。また、右2についても所論は、公表帳簿上二八、一一、一六、コタツク商会より仕入と記帳の原棉七一、三四七ポンド(代金一〇、七七三、三九七円)は、全くの架空仕入ではない、少くとも第一期期首にあると認められた簿外在庫一八八、七九四ポンド(一九、五一九、四三九円)に含まれるものであり、これを否認し犯則所得として計算したのは誤りである、そもそも右第一期期首において認められた繰越商品一九、五一九、四三九円は、簿外であり、記帳仕入処理がなされていないのであるから、この分の仕入れは認容されるべきであるのにこれを認容しなかつたのは原判決の誤りであるというのであるが、この簿外在庫というのは、第一期期首以前に仕入れされたものであると認むべきものであるから、その仕入れの経理は当然右第一期より以前の事業年度においてなされるべき筈であり、これを本件起訴対象年度において仕入れとして計上すべき筋合でないことは、検察官所論のとおりであるから、原判決がこの仕入関係を架空仕入れとして認容しなかつたのは相当であるといわなければならない。次に、右3についても所論は、公表帳簿上二九・六・九、ボルカート、ブラザースより仕入となつている原棉三八、四三〇ポンド(代金三、八三七、七四二円)は、昭和二十九年度の仕入れとすべきところを、経理上の処理の誤りにより二十八年度の仕入れとして処理されたに過ぎず、架空仕入れではないというのであるが、これまた翌期の仕入れを故意に繰り上げて記帳したものであると認められるから、架空仕入れであるとして犯則と認められても止むを得ないというべきである。
第二期につき
<省略>
なお当期中(二九・七・一)に前期に仕入れを否認された原棉三八、四三〇ポンド(代金三、八三七、七四二円が実際に入荷しており、しかもその事実が公表帳簿に記帳されていないから、当期架空仕入高算出に際しては、右金額を除算する必要があり、結局当期架空仕入高は、三〇、三七三、一六九円より三、八三七、七四二円を控除した二六、五三五、四二七円である。また、以上のうち公表帳簿上の仕入先名義、仕入数量がいずれも不明であるが申告に除し実際仕入金額よりも過大に計上したがため架空仕入れとして否認された四一、四一四円(第一期分)、四八一、一二五円(第二期分)について、原判決が犯則と認めたのは、本件においては法人税逋脱の犯意は明瞭であり、右各金額についても右犯意に基づく脱税処理の操作がなされたと認めたためであり、この判断は、これを是認し得るというべきであるから、右各金額について架空仕入れとして認定されたことを非難する所論はあたらないといわなければならない。
而して、所論の指摘するが如く、仕入否認総額(両期を通じて原判示の如く四五、九六九、〇八一円)と簿外在国総額とは一致する筈であるが、これを比較する場合評価金額で比較することは困難であるから、数量で比較すれば簿外在庫総数と仕入否認総数とが一致することは検察官所論のとおりである。すなわち、検察官の昭和三十七年十月二日付答弁書記載の関係証拠によれば、
仕入否認総数 三〇五、九六三ポンド
第一期分{(イ) 二八、七、三(ボルカート、ブラザース)三八、八五五ポンド(四、七八一、一〇一円相当分)
(ロ) 二八、一一、一六(ヨタツク)七一、三四七〃(一〇、七七三、三九七円相当分)
(ハ) 二九、六、九(ボルカート、ブラザース)三八、四三〇〃(三、八二七、七四二円相当分)
第二期分{(ニ) 二九、八、三(ボルカート、ブラザース)七七、〇二五、〃(一〇、三九八、三七五円相当分)
(ホ) 二九、八、一九( 〃 )七九、〃(一一、八八一、六五〇円相当分)
(ヘ) 二九、一一、三〇(ナルシー・ナグシー)三九、五二五〃(五、七三一、一二五円相当分)
(ト) 二九、七、一(ボルカート、ブラザース)三八、四三〇〃(三、八三七、七四二円相当分)
以上計 三〇五、九六三ポンド(但し(ト)は減算)
簿外在庫総数 三〇五、九六四ポンド
(イ) 第一期期首簿外在庫 一八八、七九四ポンド
(ロ) 火災を奇貨として拵えられた簿外在庫 一六八、〇九五ポンド
内訳 七八、九二二ポンド 二九、六、二三入荷(ボルカート、ブラザース)
但し記張上の仕入日は二九、六、九
三九、一一七〃 二九、六、一五入荷(コタツク)
但し記帳上の仕入日は二九、六、八
但し記帳上の仕入日は二九、六、九
(ハ) 出目 二二、〇三三ポンド
内訳
(ニ) 記帳誤りに基くもの 六二、七九六ポンド(但し減算)
内訳
第二期分 一七、八四六〃
(ホ) 第二期末簿外在庫 一〇、一六二ポンド(但し減算)
の関係があることが認められる。以上のうち、
次に、所論は、原判決は第一期期首において、一九、五一九、四三九円の繰趣商品を認めており、しかもこれは簿外であつて記帳上未だ仕入処理がなされていないのであるから、架空仕入とされた金額のうちから右相当分の金額の仕入は認容されるべきであるのに、それをしなかつた原判決には誤りがあるという趣旨の主張をしているのであるが、前段においても説明したとおりこの簿外在庫は第一期期首以前において仕入れをされたものであると認むべきであり、従つてその仕入れの経理をすべきものとするなら、昭和二十八年六月三十日より以前の事業年度においてこれをなすべき筈で、本件起訴の対象となつた事業年度においてこれをなすべきものではないことは検察官所論のとおりであり、なお右対象期間中に当該仕入がないのに同期中にそれに見合う買掛金が発生する筈がないから、架空仕入れに対応する買掛金勘定が架空として否認されるのも当然といわなければならない。
次に所論は、被告人らが原審で主張した「輸入為替手形引受勘定」について、原判決が何ら言及していないことを非難しているのであるが、しかし、本件について原判決はいわゆる損益法により逋脱所得額を認定しているのであつて、所論の点は原判決では仕入高の否認ということとしてあらわされているのであり、従つて貸借対照表上の科目である「輸入為替手形引受勘定」について何ら言及しなくても差支ないのであり、この点の所論は損益科目と貸借科目とを混同しており採用に値しないというべきである。而して、国税査察官が第二期貸借勘定において輸入為替手形引受勘定三五、七三三、三一六円を否認した理由は次のとおり認むべきである。すなわち右否認額の内訳は
(イ) 二九、七、二(コタツク) 一、八八一、〇〇〇円
(ロ) 二九、八、三(ボルカート、ブラザース) 一〇、三九八、三七五円
(ハ) 二九、八、一九( 同 ) 一一、八八一、六五〇円
(ニ) 二九、一一、一三(ナルシー、ナグシー) 五、七三一、一二五円
計 二九、八九二、一五〇円
(第二期において架空計上の仕入として否認された額)
及び(ホ) 二八、一一、一六(コタツク) 一〇、七七三、三九七円
(第一期に架空計上仕入として否認されたものの一部)
より第二期に別口預金とされた四、九三二、二三一円を控除した残額五、八四一、一六六円の合計額である。証拠によれば、簿外在庫となつていた会社所有商品を表帳簿に受入れるための操作として実在する取引なるかの如く作為し単に輸入為替引受勘定という科目を用いたに過ぎないものであつて、相手方のない架空債務であるから当然否認を免れないのである。
所論は更に、原判決は判決理由中に被告人の利益をも考慮し鑑定焼失額に二十パーセントを増した額すなわち六三七万円をもつて焼失額に二十パーセントを増した額すなわち六三七万円をもつて焼失額と認定するを相当とすると称しながら、二事業年度を通じてみると、犯則所得額は起訴の額よりも却つて四九六、九〇四円増加されており被告人の利益になつていないという趣旨の主張をしているのであるが、原判決が本件鑑定の結果を採用するにつき被告人に有利な措置をしたことは前段認定のとおりであるところ、それ以外においては原判決は事件全体を通じて証拠によつて認め得る事実に即して事実の認定を行つているものと認められるから、その結果査察官の調査額より多い犯則額を認められる結果となつたとしても不当ではない筈であるのみならず、所論のこの点についての原判決の認定犯則所得額の引用には誤りがあることは検察官の所論のとおりであり、原判決は判決書に明らかなとおり被告会社の犯則所得額を第一期一四、四六八、二〇五円、第二期七、四二九、三〇〇円と認定しているのであつて、右両年度を通算すると被告会社の犯則所得額は二一、八九七、五〇五円となり、起訴額の通算額二三、九七二、一四八円より二、〇七四、六四三円少く認定されているのであつて、この点に関する所論は全く失当である。
次に所論は、原判決が被告会社の昭和二十八年度(第一期)の所得として、収入利息二、〇四八、八一三円を昭和二十九年度(第二期)の所得として、収入利息二、二九〇、八一三円を夫々被告会社の犯則所得として加算したのは誤りである、右収入利息の発生源をなす簿外預金は総べて又は少くとも一部浅原佐香枝個人の預金であるから、その収入利息を全部会社の収入として認めることは誤りである。と主張するのである。
而して、この収入利息、発生源たる簿外預金を被告会社のものと認むべきか、浅原佐香枝個人のものと認むべきか又は一部被告会社のもの、一部浅原個人のものと認むべきかは問題ではあるが、原判決は証拠に徴してこれを全額被告会社の所有と認め、従つてその収入利息を会社の所有としているのであつて、原判決がそのように判断した理由はこれを肯認するに足り、所論に徴し記録を精査してもこの点につき判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があるものとは認められない。所論は以上の如く主張しながら簿外預金のうち幾許の個人財産が含まれているのかその数額を指摘し得ないのみならず、被告人らは法人の預金と個人の預金の区別を分明ならしめない状態で今まで推移して来たものであるから、原判決の如き認定を受けるに至つたのも蓋し止むを得ないところであるといわなければならない。
次に、所論は、昭和二十八年度(第一期)の雑収入計上洩四、二五三、二六六円のうち、簿外預金関係で一、二九一、〇二一円は不明の入金額七、五八〇、八九八円と不明の出金額六、二八九、八七六円との差額であるが、これを犯則所得に計上したのは誤りであるというのであるが、右各金額は簿外預金口座の入出金を個別に検討した結果、その入金径路、出金径路の判明しないものであると認められるが、会社の収入以外に収入源の考えられない本件においては、不明金額と不明出金額とを比較し、不明入金額の多い場合にはこれを雑収入に計上し、逆に不明出金額の多い場合にはこれを会社の営業経費に計上することも合理的な推計方法であるとして許容されなければならないし、被告会社も捜査時にはこの推計に同意したものであり、なお、所論はこの点につき過少申告をなしたものであることは明らかであるから、詐欺その他の不正の行為によつて法人税を免れたものという認定を受けたのも止むを得ないところであるといわなければならない。
以上これを要するに、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認その他所論の如き各違法は存在しないものというべく、被告人らの所論に対し反駁を加えた検察官の各答弁書記載の所論は総べてこれを肯認すべきものであるというべきである。被告人らの所論はいずれもその理由がない。
よつて、刑事訴訟法第三百九十六条に則り、本件各控訴を棄却すべきものとし、主文のとおり判決する。
検事 大江兵馬関与
(裁判長判事 三宅富士郎 判事 井波七郎 判事東亮明は転任につき署名捺印することができない。裁判長判事 三宅富士郎)
控訴趣意書
控訴人 株式会社 河口棉行
控訴人 永井勇一郎
右両名に関する昭和三十七年(う)第六五号法人税法違反控訴事件につき左の通り控訴趣意書を提出します。
控訴趣意書
原審判決が本件鑑定書(証第二一四号の二)は証拠能力がないのに不拘之を証拠とし仮に証拠能力ありとするも、証拠としての価値がないにも不拘之を証拠として、昭和二十八年度期首の繰り趣し商品高算定の基礎となしたのは、判決に影響を反ぼすべき法令違反ありといわねばならぬ
第一 本件鑑定書は左の如き状況の下で作成されたもので、証拠能力がない。仮に証拠能力ありとするも証拠としての価値がないものである。
原判決が昭和二十八年度の繰趣商品高(期首在庫高)の計算方法の基礎を鑑定人高瀬金三の鑑定書におきその鑑定額に二十パーセントを加えた額が倉庫火災による焼失額であるとしたのは誤りである。
原判決は検察官の主張は「本件訴訟の初め頃とその末期では計算の方法が異つていて統一的な説明をなしていないのみならず昭和二十八年度の期首在庫高の確定に不可欠な加除項目である昭和二十九年六月十四日に発生した板橋倉庫の火災における焼失高と火災直後の在庫高の計算方法についても、十分論理的な納得がゆかないものでその主張は採用出来ない。弁護人は、古火災より前に多量多額の原棉が簿外で仕入れられた旨を主張し、これに照応する立証も一部してはいるけれども、昭和二十八年度以前の出庫については、帳簿上の数額もまた簿外の数額も不明なので右主張は採用できない。」として検察官、弁護人双方の主張を排斥し(尤も弁護人の主張というのは、火災前簿外で仕入れたものが多量あり、火災時においても簿外のものが尚多量に存在していたとの主張をさすものと考えられる)自らの手で計算方法をたて、「鑑定書の数額が最も信用に価し真実に近い数額を示すものと認められる。もつとも右鑑定書に示される前示焼失額は焼残物、収容倉庫状況を実地に検討し、さらに鑑定に立ち会つた被告会社の係員から焼失前の収納状況を聴取したうえ作成されたものではあるが、その確実性については、作成者自身もその誤差は二十パーセントを出ない旨述べているに徴し、被告人らの利益も考慮し(疑わしきは被告人の利益に)古焼失額に二十パーセントを増した額すなわち六三七万円をもつて焼失額と認定するのを相当とする」と判示しているのであるが、弁護人が原審において主張した「鑑定書と焼失量について」(弁論要旨第二の四項、弁論要旨第二十二頁以下)において詳述した様に右鑑定書は次の様な事実から信憑力なきものと言わねばならぬ
一、本件鑑定書は被鑑定物件に深い利害関係を有する者の作成したものである。板橋倉庫の火災による焼残物は柿沼秀一事務所が金十二万円をもつてこれを買い取つていることは一件記録によつて明なところであるが(記録第一冊三四六丁)鑑定人高瀬金三はその柿沼秀一事務所の所員である。高瀬金三は柿沼秀一事務所の所員として日新火災海上保険株式会社専属の鑑定人であり同会社関係の火災の際その依瀬により被災物件の調査をなし鑑定書を作成するのであるが鑑定人であると同時に所謂ダメージ屋であつて被災残存物件を買い取り収益をあげることを業とする者である。本件の場合においても一方において鑑定をなし他方において被災残存物件を買い取つているわけで、かかる鑑定人のなした鑑定書は鑑定書とはなし得ないのである。民事訴訟法においても刑事訴訟法においても事件に関与する裁判官職員に関して除斥忌避の規定を設け審理の公正を期しているのであるが、本件の場合において刑事責任を課するか否かの決め手となる火災による焼失量の計算基礎の鑑定書が焼残物、ひいては倉庫の収益量、及焼失量に重大な利害関係を有する者の作成したものである以上之を証拠とすることは出来ない。
二、原判決が判示したところによれば鑑定書は、「鑑定人高瀬金三が火災現場において焼失量金額及び免災数量及び金額を鑑定した」といい又「もつとも右鑑定書に示された前示焼失量は、焼残物、収容倉庫状況を実地に検討し、さらに鑑定に立ち会つた被告会社の係員から焼失前の収納状況を聴取したうえ作成された」と判示しているが、本件鑑定書は火災現場において焼残物、収容倉庫を実地に検討して作成されたものではなく火災後余程日時が経過し被告会社と保険会社との間で保険金額が妥決して後この決定された保際金額に合致する様控訴人会社社員川瀬鉄太郎が作成した原棉被害一覧表(証二一四号の三)にもとづき作成されたもので火災現場において焼残物、収納状況等を実地に検討して作成されたものではない。原審における鑑定人高瀬金三の鑑定書作成に関する証言を検討して見ると原判決が判示している様な事実は鑑定書というものは斯の様にして作成さるべきものであるという一般抽象的な鑑定書のあり方を述べているだけで実際における本件鑑定書はその様な方法ではなく会社の伝票帳簿等にもとづき作成された前記の原棉被害一覧表によつて作成されたものであることが明らかである。
第九回公判及第二十七回公判における鑑定人高瀬金三の証言及鑑定書の記載の表面のみを素見するときは本件鑑定書も原審が判示している如く一般の方法で作成されたものかのように見える。
即ち原審裁判官の「火災損害を鑑定するにはどういうことが大切か」の間に対して
「(1) 焼残物の確認
(2) 被保険者の帳簿伝票により在庫量を調べる
(3) 焼けた倉庫及免災倉庫を見る 」
旨を証言し(記録第四冊一三九四丁)又「会社の主張はどういう点で信用出来なかつたか」の問に対して「倉庫の収容容積と焼残物の容積から」と証言し(記録第四冊一三九五丁)「鑑定書に対しては一応自信がある」旨の証言検察官の問「鑑定する場合焼残物を基準とするか会社の帳簿を基準とするか」に対して「それは焼残物を一番重視する」旨の証言問「鑑定書の中の焼失額は」に対して「それは収容量によつて調べる」旨の証言(記録第四冊一二九八丁~一二九九丁)によつて明なように本件の鑑定は鑑定する場合の方法を述べ鑑定書は斯様にして作成さるべきものであるということを証言しているに過ぎない。
然し同鑑定人の証言をよくよく検討して見ると本件の鑑定書は一般の鑑定書作成の場合とは異り控訴人会社の伝票及控訴人会社より提出された原棉被害一覧表(証第二一四号の三)を基礎にして作成されたものであることが判る。
即ち第二十七回公判における鑑定人高瀬金三の証言中「昭和三十四年証第二一四号の三(原棉被害一覧表)の日附は六月十四日だが余程後になつて出来た書面で復写したものであつた」「河口棉行から貰つて私どもの方で検討して鑑定書を作成した」(記録第四冊一二八九丁)「鑑定書は川瀬の作成した被害一覧表を基礎として作成された」(同一二八九丁)「藤田、石川、水野等と一緒に会社に行つたのは火災後余程たつてからのこと」(同一二八七丁~一二八八丁)以上の如き旨の証言又弁護人の問「藤田が保険金額を五百二十五万円に決めてこれに決めましようと言つて永井と握手した記憶は」に対して「そんな記憶もあります」問「川瀬が今の表とは違つたものと多額な記載のある表を証人に示した記憶は」に対して「そうですねそういうあれもあつたかも知れません」問「そして川瀬がその際相当多額な被害一覧表を出して来たので証人の方でそれは帳簿にも載つていないので困る。紳士的に行きましようといつた記憶は」に対して「あつたかも知れませんね、それも」(記録第四冊一二八八丁~一二九一丁)尚検察官の問に対して「最初川瀬の方から出して貰つたあれが大分多額だつたので私どもでもこれは認められないということを申し上げてもつと正確な数字を出してくれといつた記憶がある」旨の証言、検察官の間「川瀬の方から相当尨大な数量の在庫量の申出があつたことを保険会社の方へいわなかつたではないか」に対して「そんなことはない、鑑定に関係したことは総て会社に報告しているので確かにいつたと思う」旨の証言、又弁護人の問「それは鑑定書を作成する一般的な場合はそうだが今回の鑑定は」に対して「会社の主張にはよらないが矢張り伝票によつた」旨の証言、(記録第四冊一二九二丁~一二九三丁)右の様な証言と合致する控訴人永井勇一郎の原審第二十六回公判における供述(記録第四冊一二六五丁~一二六八丁)原審第二十九回公判における証人林憲治の「鑑定書に添付してある配置図は川瀬にこういう種類のものを図面に割り振つて貰い度いといわれていろいろ計算して該当する様に作りあげたもので火災直前の配置は之と全く違うものであつた」旨「配置図にはないがエジプト綿がある。エジプト綿は動かずそのままにあつた」旨(記録第五冊一四八七丁)の証言等を綜合すると本鑑定書は火災現場において焼残物、倉庫の収容量等を実地に検討したものではなく控訴人会社の伝票にもとづき計算決定された保険金額に合致するよう作成された前記原綿被害一覧表によつて作成されたものであることが明である。即ち名は鑑定書であるけれども実は鑑定書ではあり得ないのである。
三、原判決は鑑定書について「その確実性については、作成者自身もその誤差は二十パーセントを出ない旨を述べているに徴し、被告人等の利益をも考慮し、右鑑定焼失額に二十パーセントを増した額すなわち六三七万円を以て焼失額と認定するを相当とする」というのであるが、このことはこの鑑定書自体の証明力を疑つていることを物語り僅かに誤差二十パーセントという妥協点で逃げているに過ぎない。
四、本鑑定書にはエジプト綿に関する記載がない。控訴人会社が千代田棉業株式会社並に桜井隣太郎よりエジプト綿を買入れた事実は証拠として提出された同人の手帳の記載、昭和二十五年六月二十六日、エジプト綿、三〇俵、一七、八八〇封度、単価三六〇円、金額六、四三六、八〇〇円よりして明なところである而してエジプト綿に関しては、休憲治作成の原綿落綿焼失明細(昭和三四年証第二一四号の六)にその記載があり、同人の原審における証言、「倉庫には一杯入つていた、質問顛末書の時何回もいつたが認めて貰えなかつた。高瀬鑑定人に同面を示して説明したことはない。国税局の調べでは商品配置図を示されてこの通りだろうといつて、言うことを採用してくれなかつた」旨、(記録第五冊一四七四丁、一四七六丁)「配置図にはないが、エジプト綿がある。エジプト綿は動かずそのままあつた」旨(記録第五冊一四八七丁)の証言その他控訴人の上申書等によつて認められるエジプト綿を簿外で買入れた事実は、証拠の上で明瞭である。只之を売却した事実を証明するものは何も存しない控訴人のエジプト綿羅災の主張にも不拘之を排してエジプト綿の在庫を認めない鑑定書の鑑定額を支持するためには之を支持する側においてこのエジプト綿が販売された事実を積極的に証明しなければならないと考える。原審判決が二十八年度期以前において原綿が多量に仕入れられた事実を証拠によつて認めながら二十八年度以前の出庫の額が不明だという理由から簿外在庫の存在を否定するのは誤りといわねばならぬ。
五、鑑定額の鑑定額は控訴人会社の表の帳簿の記載額と一致し簿外のものを考慮していない。
本件鑑定書が火災現場の焼残物その他を実地に検討したものではなく控訴人会社から提出された原綿被害一覧表によつたものであることは前述したところであるが控訴人会社は昭和二十五年六年、七年頃簿外の原棉を多量に買入れた証拠として提出された桜井隆太郎の手帳二冊、並に株式会社丸紅と控訴人会社間の原棉の売買契約書八通の記載及之に合致する証人桜井隆太郎同村田晃の原審における各証言等により
A 千代田綿業株式会社及桜井隆太郎より昭和二十五年六月二十六日から昭和二十六年十月二十日迄に五回にわたり
原棉 一九、二〇七、八〇〇円
落綿 三、〇六六、〇〇〇円
B 株式会社丸紅より、昭和二十六年十一月二十二日から昭和二十七年三月七日迄の間に八回にわたり
原棉 三五、五二〇、〇〇〇円
を簿外で買入れたことが明であり原審判決も「弁護人は、右火災より前に多量多額の原棉が簿外で仕入れられていた旨を主張し、これに照応する立証も一部してはいる」として之を認めているのである。
右のものは控訴人会社が簿外で仕入れたものの一部で証拠によつて明にし得たものに過ぎない。今簿外で仕入れたものの全貌を証拠によつて明にすることは出来ないけれども最少限これだけのものが簿外で仕入れられていることは争いのない事実である。
之等の簿外在庫が火災時迄に全部売りつくされたという証拠はなく査察官高沢久幸の第二十四回公判における「会社の原棉受払簿にこれだけ焼失したのだということが書いてあつた然し只焼失額が書いてあるだけで前後の関係が受払帳によつて証明されるという数字でなかつたのでそのまま取り上げなかつた」(記録第四冊一一一四丁)「会社ではこれは裏の在庫が昔から相当額になつているといつていた。簿外在庫が焼けたのだから実際の焼失と一致していると主張していた」(記録一一一四丁)旨の証言で認められる様控訴人は終始一貫簿外在庫の焼失を主張しているのである。高沢査察官のいう如く簿外在庫の存在前後の関係が受払帳の記載によつて明らかでないのは簿外在庫の性質上当然のことであつて数字の上でこれを取り上げ兼ねた査察官の立場はよく判るがこのことによつて簿外在庫の存在を否定する理由とはならぬ。簿外在庫の存在を全然考慮していない鑑定書の鑑定額は真実ではないのである。
原判決には左の如く判決に影響を及ぼすべき事実誤認がある。
第一、原審判決は法人税額の算定根拠である犯則所得の計算に当つて期間の計算が正確に行われていず又否認してはならない仕入否認をなすの誤を犯している。証拠として採用され、原審が犯則所得額を計算する基礎となつている法人税決議書のうち昭和二十九年度分についてみると、所得加算として、「<9>輸入為手引受勘定否認三五、七三三、三一六円」となつている。この否認された額は左記の原判決にいう架空仕入(1)(2)(3)(4)(5)の合計四〇、六六五、五四七円(二十八年度期首の簿外在庫として控訴人が主張している額)から昭和二十九年度において別途予金に入金された四、九三二、二三一円を引いた残額であるが
左記
(1) 28、11、16 仕入先コタツク 一〇、七七三、三九七円
(2) 29、8、3 ボルカート・ブラザース 一〇、三九八、三七五円
(3) 29、8、19 ボルカート・ブラザース 一一、八八一、六五〇円
(4) 29、11、13 ナルシー・ナグシ 五、七三一、一二五円
(5) 29、7、2 コタツク 一、八八一、〇〇〇円
これを損益計算書にもとづいてみると、(1)は昭和二十八年度において(2)(3)(4)(5)は昭和二十九年度において仕入れられたもので、仕入が二事業年度に互つてなされているにも不拘、原審判決は犯則所得計算書(損益計算書)においては仕入高否認を昭和二十八、二十九両事業年度で否認し、一方法人税決議書中所得加算として、昭和二十九年度期未に帳簿に繰趣された輸入為手引受勘定三五、七三三、三一六円を架空債務であるという理由のみで否認せられている。これは所得計算に当つての期間計算を正確に行つていないのである。
右の(1)(2)(3)(4)(5)の仕入額の合計金額四〇、六六五、五四七円中には原審判決に明示されている。昭和二十八年度期首在庫高七一、三六五、五八八円と控訴人会社の同年度の申告在庫高五一、八四六、一四九円の差額である一九、五一九、四三九円の、簿外在庫が、昭和二十八年度期中に得意先に売却さられ、現実に売上に記帳され入金したことにより、これに見合う仕入を計上したものが当然含まれているのである。
これは原審判決が摘示している犯則所得調書中にも、売上計上洩又は売掛金入金洩が全くないことで明白である。即ち仕入原価零のもの(簿外在庫であるから帳簿上には表れない)を売り上げたことになり、前記の簿外在庫一九、五一九、四三九円の仕入金額を否認することによつて、売上代金の全額が利益として計算される不合理を生じ、当該事業年度の正確な所得は算出が不可能である。
従つてこの仕入金額を是認してこそ正しい計算が出来るわけで、当然仕入計上に見合う勘定である。輸入為手引受勘定三五、七三三、三一六円のうち少くとも昭和二十八年度期首簿外在庫有高一九、五一九、四三九円は否認額から除算されなければならない。
第二、原判決が控訴人会社の昭和二十八年度の所得として収入利息二、〇四八、八一三円を昭和二十九年度分所得として収入利息二、二九〇、八一三円を夫々犯則所得に加算したのは誤つている。
原判決は「別表1及2の認定欄の各収入利息は銀行関係証拠綴(前同号証の七)に摘記してある通り、簿外の無記名定期予金利息及び割増金、簿外通知予金利息等の合計額でありその利息の発生額については弁護人も争わぬようであるが、その発生源たる債権の帰属については、弁護人は種々証拠を上げて、これ等の予金債権の少くとも一部は被告会社の代表者浅原佐香枝のものであつて、その全部が被告会社の所有でないから、古収入利息の全部を申告計上洩れとして取扱うのは不当である旨力説している。しかしながら、他方検察官挙示の浅原佐香枝の検察官に対する供述調書(記録第三冊八八六丁)、被告人永井勇一郎の31、4、23付質問てん末書(前同七二八丁)、同被告人の検察官に対する供述調書32、8、2(前同八三三丁)及同被告人及び浅原佐香枝共同作成の上申書31、9、8(前同七四五丁)等を綜合すると前記利息の発生源たる予金はその大部分が従来の会社の収益が投入温存されて現在に至つたものと認めるに十分であつて部分的には浅原佐香枝の個人営業が会社営業という形態をとるに至つた被告会社の創設時に浅原佐香枝が投入した個人資産が形をかえて現在の予金などとなつて存続しているものがあり、或は同人がその後別途取得した個人所有の金員を投入したものも含まれていることはこれを推認できるが、従来の個人営業を廃して会社本位の営業形態に転化し、その投下した個人資産も、浅原個人のものとして格別に会社財産から区分保存するということをせず、もつぱら会社の必要に応じてその処分をまかせて来たという従来の経過に徴するときは、浅原のこれ等の投入部も既に会社の所有になつたものと認めるのを相当とする(しこうして過去において浅原佐香枝がこれらの予金のうちから個人的用途に使用したものが幾分あつたとしても、――その故に投下部分が現在も浅原個人のものと認めるよりも――、これを法律的にみれば、自分のものを使つたというよりは一旦処分権を会社に委ねたものを、会社から借用しないしは贈与を受けたものと、解する方が、全体的な観察からして妥当とみるべきである)よつてこの点についての弁護人の主張は採用できない」と判示し、簿外予金はその大部分が従来の会社の収益が投入温存されて現在に至つたものと認めるに十分である。というのであつて前示の証拠のうちには判示に照応するような供述も一部ないではないが挙示の証拠を検討して見ると、
1 浅原佐香枝の検察官に対する32、8、7付供述調書では会社の創設当時二千万円を会社の営業資金としてつぎ込んだ事実及別途予金をつくつた事情等を述べているだけで之によつて簿外の予金が総て会社のものとする証拠にはならない。
2 控訴人永井勇一郎の31、4、23付質問てん末書では、予金は大半は会社のものであると述べてはいるが、全部が会社のものとはいつてない。
3 控訴人永井と浅原佐香枝共同作成の31、9、8付上申書では、個人営業時代から当時迄の営業の経過を述べ、会社自体の営業によつて多額の利益をあげた事実よりも、むしろ浅原佐香枝個人の資産が相当に含まれている事実を述べている。
4 同控訴人の検察官に対する32、8、2供述調書では「収入利息の点について述べます。過日も述べた通り、簿外予金は昭和二十八年七月一日現在四千二、三百万円あり、そのうちには義姉(浅原佐香枝のこと)或は妻個人のものと認めるべきものも含まれていると思うのですが、然らばそれがどの程度含まれているかについては、今日になつては正確な計算をすることが出来ません」と述べて個人のものが含まれていることを明にしている。
右の如くで原判決が摘示した証拠を綜合しても預金の総てが会社のものであるという結論は出て来ない。而も質問てん末書、供述調書の様な捜査官の作成する調書は、供述者の供述をそのまま記載しているのは極めて稀である。殆ど総ての供述調書は、捜査官が聴取し理解したところを取捨選択し読むものをして有罪の心証を得させるよう再構成して表現されたものであつて、公判廷の供述に比し、その信憑力は乏しいものである。
同控訴人は原審公判廷においては明瞭にこれ等の予金は浅原佐香枝個人のものである旨を述べているのみならず原判決が証拠として採用している銀行関係証拠綴(証第二一号の七)によれば、簿外予金は浅原佐香枝個人のものであることが認められる。
右証拠のうち、一例として富士銀行日本橋支店の部の定期予金元帳No5を見ると領書に額面八百万円の記載がある。この八百万円の定期予金は
イ 第二十三回No二六五が満期日に書き換えられて
ロ 第二十三回No二七四期日29、2、27となり満期日に書き換えられて
ハ 第二十六回No三一九期日29、8、27となり額面八百万円は変ることなく、只期日に書き換え据えおかれていることが判る。
同表の入金経路欄、出金内容欄を見ればその他の定期予金も右八百万円の場合と同様、元本は当初から動くことなく継続し、只期日毎に書き換えがなされているのみである。このことは富士銀行関係のみではなく住友銀行日本橋支店三菱銀行日本橋通町支店についても又同様で、たまたま他の金額と合計されて、期日に書き換えの際額面が増加しているものはあつても、当初の予金元本は動くことなく連綿として継続しているのである。
これらの予金は、ただ架空名義で予け入れられているというだけで、予金証書、使用の印鑑は、浅原佐香枝個人が之を所持し、之を会社に移譲した事実はない。
昭和二十八年七月一日現在における簿外予金の総額は、三二、五一三、七九三円であるが、その大部分は定期予金のみであることが、前示の証拠によつて認められる。
控訴人会社が銀行より金融を受ける場合は、浅原佐香枝は常に連帯保証人となつた。この際簿外予金そのものは、実質的には、借入金の見返り担保的存在となり、信用度を高めるに役立ちはしたが、形式上担保として提供されたことはなく、又実際上これらの予金がくずされて借入金の見返りとなつた事実もなければ会社の用途のため引き出されて使用された事実もないのである。
右の如くにして、原判決のいう「投入」という事実は何処にも発見されないし、会社の必要に応じてその処分をまかせて来たという証拠もないのである。浅原佐香枝はこれらの予金が自己のものであると考えていたればこそ、予金通帳、印鑑を自ら所持し、株式の買入代金、会社の増資払込金等自己の用途に必要な金員をこれより引き出し、或は自己所有の株式の売却代金をこの予金に入金したものである。仮に投入によつて個人の資産が会社の有となると仮定しても、会社は投入を受けた浅原個人に対して之に対応する債務を負担する筈である。投入された資産の額が幾何であるか何時投入されたか、投入とは如何なる法律行為であるかを明にしなければならない。検察官は論告要旨において、投入とは出資乃至は仮受金の性質を有するものと主張したのに対し、原判決は、「その投下した個人資産も浅原個人のものとして格別に会社財産から区分保存するということをせず、もつぱら会社の必要に応じてその処分をまかせて来たという従来の経過に徴するときは浅原のこれらの投入部も既に会社の所有となつたと認めるを相当とすると」いうだけで、何時幾ばくの額が投入されたかを明にせず、又投入とは贈与であるのか、貸付金であるのか、仮受けであるのか、出資であるのか、兎も角その法律行為の性質を明にしていない。
原判決はこれらの予金は会社の営業収益によつたものと浅原個人の資産が投入されたものとがあることを認めている。浅原個人の資産が混つているとすれば、この部分を確定して会社の負債勘定科目に之を明示しなければならない又この額に対して利息を払わねばならないことはいうまでもない。原判決は会社の資産と浅原個人の資産を区分することをしないのみか却つて進んで「しこうして過去において浅原佐香枝が、これらの予金のうちから個人的用途に使用したものが、幾分あつたとしても――その故に投下部分が現在も浅原個人のものと認めるよりも――これを法律的にみれば自分のものを使つたというよりは、一旦処分権を会社に委ねたものを会社から借用ないし贈与を受けたものと解する方が全体的な観察からして妥当である」というのであるが、金の出入のあつたのは、簿外予金の少部分である普通予金についてだけであり、その大部分を占める定期予金はその元本は動かず据えおかれていたことは前述したところである。
原判決は浅原が自己の用途に使用した金員については金利を計算し会社の所得としているのである。
即ち査察官高沢久幸作成の「所得金額の計算明細」において
1 昭和二十八年度「(14)貸付金利息認定」として
A まりわた株式会社株式取得のための金百八十万円(28、10、10)
B 河口棉行増資分金百五十万円(28、9、22)
右ABに対する日歩二銭六厘の割合の利息 二十五万一千四百九十六円
2 昭和二十九年度「(9)貸付金利息認定」として
右ABに対する利息 三十一万三千百七十円
を雑収入計上洩として各年度の所得とする計算方法を採用しているのであるが、浅原の会社に対する投入金には何等利息を考慮せず不合理な扱いをしているのである。
少くとも会社所有のものと浅原個人所有のものを正確に区分し浅原所有のものと認めた分に対する利息は判示の収入利息計上洩の額から除算しなければならない。原判決は証拠によることなく独断で疑わしきは被告人の不利益に認定するの過誤を犯しているのである。
第三、雑収入計上洩について
原判決は検察官の原審における主張をそのまま鵜呑にして、控訴人会社の昭和二十八年度の犯則所得中、雑収入計上洩を四、二五三、二六六円(別表1)として加算しているが、その内訳は
(1) 原棉落綿等の商品輸入の際におけるクレーム代金、取引先からの受取手形の延利、屑物買却代金等で簿外予金に入金された 二、九六二、二四五円
(2) 簿外予金調査の結果、入金額のうちその性質が明でない七、五八〇、八九八円と支出額のうちその性質が明でない六、二八九、八七六円との差額 一、二九一、〇二一円
である。そのうち(1)の二、九六二、二四五円については控訴人も之を争つていない。しかし(2)の一、二九一、〇二一円は飽く迄もその性質を明にすることが、出来ないものであつて、犯則所得であるとの証拠は全く存しないのであるから、この分は除外して計算しなければならない。即ちこの分については、詐欺その他不正行為により法人税を免れたか否かは不明である。原判決は疑わしきは被告人の不利益に認定し、証拠によることなく、性質不明の入出金の差額を犯則所得として計上するの誤りを犯しているのである。
以上述べたところで明なように、原判決には判決に影響を及ぼすべき法令違反と事実誤認があるので破棄さるべきものであると信ずる。
昭和三十七年三月五日
控訴人両名弁護人
橋本雄彦
東京高等裁判所第七刑事部御中